写真・図版
東日本大震災4周年追悼式で宮城県の遺族を代表して言葉を述べる菅原彩加さん
=11日午後3時21分、東京都千代田区の国立劇場、代表撮影

あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。

 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました



2011年6月15日の記事がありました。
こちらには、二晩屋根の上で過ごしたと書かれています。

東北津波遺児らが米国NYタイムズスクエアで街頭募金実施!

2011年06月15日[プレスリリース]

津波から3か月。心のケアの必要性を世界に訴え、「東北レインボーハウス」建設募金!



  あしなが育英会(団長・玉井義臣会長)は、6月7日~12日、東日本大地震・津波遺児の高校生代表ら5人や阪神大震災遺児大学生らと米国ニューヨーク市を訪れ、NY9.11同時多発テロ遺児、ハリケーンカトリーナ災害遺児らとともに、東北の津波で親を亡くした遺児の現状やこれからの心のケアの必要性を世界に訴え、継続的に心のケアを行う拠点「東北レインボーハウス」建設のための街頭募金を行いました。
 
 


 

1995年の阪神・淡路大震災後に建てられた震災遺児の心のケアセンター「神戸レインボーハウス」と同様に、東日本大地震・津波遺児のための「東北レインボーハウス(仮称)」建設を2013年に目指し、募金(目標30億円)活動を引き続き行って参ります。東北の津波遺児らが世界中の支援で建てられる「東北レインボーハウス」で心癒され、一日も早く元気になる日が来ることを願っています。
  
なお、今回のNY渡航は、モルガン・スタンレー証券、ユナイテッド航空、マリオットホテルグループから無料航空券や現地滞在費用などのご支援ご協力をいただき実現しました。心から御礼を申しあげます。

<参加した遺児たちの声>
 菅原彩加さん(高校1年)は津波に流され、二晩、自宅屋根の上で過ごしました。大きなガレキで背中に傷を負ったとき、彩加さんは飛び上がり、足の爪がはがれました。「母、祖母が亡くなりました。祖父は未だ行方不明です。海から7~8㎞あたりの住民は誰も今回のような大津波を想像していなかった。(津波が発生したとき)みんな家にいたと思う。私は流されましたが、生き残った」。「自分と同じ気持ちを持った世界の人や同世代の高校生たちと会い、互いを励ますとともに共感し合えたり出来たと思います。また、 ニューヨークの人たちやTVや新聞を通して世界中の人たちに被災地の現状や大変さを伝えることが出来たので本当に嬉しい。私たちがアメリカへ来て良かったと思います。5日間という本当に短い間の活動でしたが、とても良い経験になりました」。

 
 

 


菅原 彩加さんのスピーチ(「Tohoku to the world」より
こちらには、「私の父、母、祖母、曾祖母そして私の五人で家の中を片付けていました。」とあります。
津波の後、父親はどうなったのか、一切触れられていません。
いっしょではなかったのだろうか?

彩加さんの祖父は、震災後、石巻市の副市長に就任しています。

2014.04.02   「NEWS石巻かほく」より

石巻・菅原副市長が就任会見 元の生活へ被災者支援

就任の抱負を述べる菅原副市長=石巻市役所

 石巻市の菅原秀幸副市長(63)は1日、就任の記者会見で「責任の重さを痛感している。震災後の人口減少は自治体の力を減退させる。定住化に向け産業振興、新産業の創造、若い人が安心して子育てできる環境づくりに力を入れる」と抱負を述べた。「自分も被災しており、ついのすみかの再建は相当重い。被災者が一日も早く元の生活を取り戻せるよう支援していく」と強調した。

 震災で自宅が流失、母と妻、長女の3人を亡くし仮設住宅で暮らす。「あの当時のショックは残っているが、生かされた者として家族の分まで前を向いて歩く。一日でも早く復興を実現させる手助け、40年間職員として勤めた市役所への恩返しのために決断した」と就任を決めた理由を語る。

 職員に対しては「震災で自分も被災している中で一生懸命に頑張った仲間。今後もさらに頑張るだろうが、被災者は不安を抱えており、優しい行政が求められる。市民に懇切丁寧に向き合ってほしい」と期待した。

 任期は4年間。庁内、議会との調整が中心になる。

 菅原氏は石巻市出身で飯野川高卒。1971年石巻市役所入り。財政課長、保健福祉部次長兼社会福祉事務所長、病院局事務部長兼市立病院事務長、総務部長を歴任し、2011年6月に退職した。

 石巻市の副市長は昨年10月1日以降、空席となっていたが、3月20日の市議会2月定例会で人事案が同意され1日付で菅原氏が就任。笹野健副市長との2人体制となった。



ネットでは、菅原彩加さんと、この菅原副市長が養子縁組をしたと書かれていました。
もし事実なら、父親は生存しているはずなのに、なぜなのでしょう?
菅原彩加さんが祖父と養子縁組した理由
→彩加さんの父は震災後再婚され、新しい兄弟も出来たらしいですね。
この事は思春期の娘にとってはショックだったと思います。
彩加さんのツイッターでは、家族と縁を切りたいというような発言をしています。


菅原さんは、あしなが育英会から600万円の返済不要の援助を受けて、スイス留学をしたそうです。
読者の方が教えてくださいましたが、
Twitterは閉じられてしまったようですが、
プロフィールには海外22ヶ国旅行したと書かれていたそうです。
22か国はすごいですね。


山と土と樹を好きな漁師様のブログより

震災孤児・遺児はこのような数になっています。

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※震災孤児・遺児数の地域別内訳はとくに被害の大きかった東北三県で9割以上を占めています

震災孤児とは両親とも死亡ないしはひとり親家庭の場合は片親が死亡した児童のこと。震災遺児とは両親のどちらかが死亡した児童のことである。